八上城(やがみじょう)

別名 八上高城
創建年と創建者 1508年、波多野元清
形式 山城

篠山市街地から東方約3kmにある。細川勝元に仕えて出世した波多野氏は次第に丹波で勢力を拡大。波多野稙通は別所氏支援に巻き込まれず勢力を温存、細川晴元を匿い三好長慶と対立する。城は1557(弘治3)年にいったん落城するがその後城を波多野晴通・秀治が回復している。

が、織田信長の部将・明智光秀による丹波攻略が開始される。1576(天正4)年1月に明智光秀を破るが、1578(天正6)年12月から城は包囲され城は落城した。光秀の母の人質磔の話はこのときがモチーフだが創作とされている。

本能寺の変後、羽柴秀勝・前田玄以の城代がそれぞれ入城。前田茂勝が重臣殺害後八上を出奔する事件の後は松井康重が入り、1609(慶長14)年篠山築城となり八上城は廃城となった。