三星城(みつぼしじょう)

別名
創建年と創建者 1161~1163年、渡辺長寛
形式 山城

川に囲まれた連郭式山城。渡辺氏が居館を構えるも、2代で滅亡。その後後藤氏が1339(延元4)年とも1351(観応2)年とも入城したと言われる。山名氏と赤松氏が最初は争うが、後藤氏は赤松、山名、細川と騎士をはっきりせず、浦上氏につく浦上家の内訌で弱体化し、尼子氏についた。尼子氏が毛利に攻められるのを見て尼子方の武将を攻め後藤勝基は東美作を掌握した。が、最後は宇喜多直家方の軍勢に攻められ三星城は落城。後藤氏は滅亡した。