備中高松城(びっちゅうまつやまじょう)

別名
創建年と創建者 16世紀前半、石川氏
形式 平城(沼城)

秀吉の天下取りのターニングポイントに登場する名城。清水宗治と共に備中高松城の名は後世に語り継がれている。

備前・備中の国境近くにある。後背湿地帯に位置し、城の周りは沼。足をすくわれ行軍出来ない天然の要害であった。

三村氏の部将で備中半国の旗頭石川氏が築いた。石川家断絶後は石川氏の娘婿の清水宗治が長谷川氏との政争の末城主となった。1582年の正月に小早川隆景から織田へ降るなら早いほうが良いと言われるも宗治は拒否。織田方からの誘降も拒絶し、決戦となった。秀吉は水攻めを敢行。備中高松城のストロングポイントをウィークポイントに鮮やかに転換した。

その後清水宗治は城兵の助命と引き換えに切腹。本能寺の変で引き返す必要があった秀吉、毛利家存続が確定的となった毛利輝元小早川隆景にとって忘れられない戦いとなった。

なお、戦い後花房正成や花房職之によって城は整備されている。