鉢形城(はちがたじょう)

別名
創建年と創建者 1469-87、長尾景春
形式 平山城

築城は長尾景春とされる。が、平将門在城や畠山重忠の居城記録もある。

長尾景春はこの城を拠点に上杉顕定に抵抗した。上杉顕定上杉顕実上杉憲房と城に移った武将は数多い。

その後藤田康邦が城主となったが、北条氏邦を娘婿として城を譲った。北武蔵の要衝拠点として城は活用された。小田原征伐時は上杉景勝前田利家・本多忠勝の3万5千の大軍を相手によく戦ったが、本多忠勝の28人持ち大砲の威力もあり城内は大破。鉢形城は落城し廃城、北条氏邦は前田利家に預けられ金沢にて死去した。

遺構は北条氏特有の角馬出や畝堀などが確認された。城跡は東武東上線の終点・寄居駅から徒歩圏内。荒川断壁の城がらしいものになっている。上流の長瀞から産出される緑泥石片岩は貴重な資材であり、荒川水運は江戸期含め活用された。