韮山城(にらやまじょう)

別名
創建年と創建者 伊勢宗瑞、1491年
形式 丘城

伊豆北部の山脈の突端に築かれている。東側背面に巨大な池があり、韮山城の大きな特徴となっている。

伊勢新九郎茶々丸を滅ぼし拠点としたのが伊豆韮山城であり、生涯を韮山の地で終えている。小田原征伐の時は協調外交を取っていた北条氏規が籠もり4万4千の包囲軍を相手に3600の兵でよく守っていた。古い知り合いの徳川家康が講和を申し入れ、山中城その他が陥落した状況を鑑み開城交渉に同意している。北条氏規の家系が大阪狭山藩で存続することとなった。

その後、内藤信成が入っているが1601年駿府田中へ移り、韮山城は廃城となった。江戸時代末期に代官江川太郎左衛門が農兵訓練で使ったりしている。