名胡桃城(なぐるみじょう)

別名
創建年と創建者 1492-1501、沼田景冬
形式 丘城

沼田城の支城。利根川の西潟にある段丘の端に築かれているが突出は尖鋭でほとんど山城である。真田氏による手が多く加えられた中世末期の情買うであるが、武田氏の城郭に多用される丸馬出しの存在が目を引く。また、群馬県域では安山岩の川原石が容易に採取出来ることからか、野面積みの石垣も検出されており、関東の城では珍しい。

上杉謙信の死後北条勢が攻めるが落ちなかった。その頃には沼田城を監視する対城の性格を持っていた。真田方の鈴木重則が城を守っている。上野国をめぐる北条と真田の係争の裁定として沼田地方が北条に渡された後も、利根川以西に位置するこの城は真田昌幸領有であり、北条方の猪俣邦憲がこの城を落としたため惣無事令違反とされ、天下統一戦の小田原征伐に発展している。