躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)

別名
創建年と創建者 武田信虎、1519年
形式

「人は城、人は石垣、人は堀」を体現する甲斐武田氏の本拠。でも、築いたのは信玄の父・武田信虎であり、これまでの武田氏の居館としては堅固な造りであった。信虎が26の年に築き、その後10年で甲斐統一が実現し、武田家は戦国大名として確固たる地位を得た。また、中世城郭にありがちな詰めの城もきちんと用意されていた。それでも現代甲府の町割りを築いたのもこの躑躅ヶ崎館時代である。内郭は武田神社となっていることもあり、よく現代に遺っている。本来は東曲輪と中曲輪からなる単郭の城であったが、勝頼時代、徳川統治時代と拡張され西曲輪、北曲輪(以上勝頼時代の整備)、梅翁曲輪(徳川統治時代の整備)が整備されていった。