高天神城(たかてんじんじょう)

別名
創建年と創建者 室町時代中期、今川氏
形式 平城

鎌倉時代土方義政が鶴翁山に築城したとされるが伝説の域を出ない。1416年、足利持氏に味方今川範政が上杉禅秀対策として築城したとされるのが定説である。が、この頃助言したとされる今川了俊は九州探題を罷免され不遇の時期であり、やはり1492~1504年頃、今川氏が遠江に勢力拡大した頃に築城したと考えるのがスマートである。今川氏没落後は家康方として小笠原長忠が守っていた。1571年、武田信玄が2万の兵で囲んだが城は落ちなかった。が、1574年武田勝頼がこれを落とした。父ですら落とせなかった高天神城を落としたのだから鼻高々である。家康の高天神城奪還の苦しい戦いが始まった。付城として横須賀城を築き、青田刈りを行い城を厳しく監視した。1581(天正9)年、ようやく城を落とすことが出来た。

高天神城は東峰と西峰に分かれており、東峰は断崖絶壁で堅固である。が、山上が余りに狭いため西の丸として西峰を設けている。高天神城は2回とも西の丸を攻撃され落城している。