坂本城(さかもとじょう)

別名
創建年と創建者 1571年、明智光秀
形式 平城・水城

1572年の比叡山焼き討ち後滋賀郡の支配を織田信長に命じられた明智光秀が築城。比叡山の監視・琵琶湖の制海権確保・堅田など北方の豪族に対する備えと城に対する役割は多かった。明智光秀は手堅くそれらの業務を遂行、滋賀郡の支配を確実なものとして信頼を勝ち得た。本能寺の変後、坂本城へ帰ろうとした光秀は小栗栖で落命、明智秀満は宝物を敵兵へ渡し一族もろとも自刃した。ルイスフロイスが『日本史』でいう「安土に次いで有名なものはない」という坂本城は焼け落ちた。その後、丹羽長秀・杉原家次・浅野長政が入るが、大津城が築城されることになり資材は大津へ移築された。

城跡のはっきりした位置は分かっていなかったが、発掘は行われ琵琶湖に面した突出部に築かれた水城だったようである。推定地の中央は国道161号が通り、東南寺の門前に「坂本城跡」の石碑が建てられている。