掛川城(かけがわじょう)

別名 雲霧城・松尾城
創建年と創建者 1473年、1512年、、朝比奈泰煕、朝比奈泰能
形式 平山城

今川重臣の家系である朝比奈氏によって暫時築城されたと考えられる。斯波氏の抑えとして掛川に築城することを今川義忠より命じられ、遠江朝比奈氏として掛川に拠った。朝比奈泰能は南西500m先端に新城を築き、それまでの城は古城として搦め手の出城的存在となった。1568年、駿府を追われた今川氏真は朝比奈泰朝とともに半年掛川城で籠城している。1569年開城し、氏真は伊豆へと逃れている。石川家成・康通父子が守っていたが、徳川家康の関東移封後は山内一豊が本拠とした。一豊は城下を含め掛川城の改修を行った。掛川古城を含めた縄張りとし、関東への備えとした。が、関ヶ原の戦いの時に備えるはずの家康に一豊は城を献上、小山会議での功が認められ土佐一国の国主に出世する。その後は譜代大名の居城として城主は目まぐるしく変転した。1604(慶長9)年に山内一豊以来の天守閣再建がなされちる。1854年の安政の大地震で天守・本丸御殿が倒壊した。本丸御殿は1858年再建されているが、天守の再建は平成になってからとなった。