鹿児島城(かごしまじょう)

別名 鶴丸城、府城、御館
創建年と創建者 、1602年、島津家久
形式 平城

上山氏の拠った上山城(城山)南麓に位置する。1550年より利用してきた内城が海岸に近すぎ移転することとなった。山城指向の義弘を抑え、島津家久は近世城郭を念頭に城山に鶴丸城を築城することとなった。鶴丸城の名前は、城の地形が鶴が翼を広げたように見えることからである。鶴丸城は屋形造りの居館であったが、島津氏は一国一城令の後も外城制をとっており、各要害に武士が配置されていた。財政逼迫もあり本城に集めることは出来ず、江戸時代中ずっと継続された。城は何度か大火に見舞われているが、1868(明治元)年12月に熊本鎮西鎮台の兵舎から出火し城が全焼、焼け跡の一角に西郷隆盛の西南戦争時に主力となった私学校が築かれている。