魚津城(うおづじょう)

別名 小津城
創建年と創建者 室町中期、椎名氏
形式 平城

魚津は新川郡の中心であった。築城者は不明だが、新川郡守護代で松倉に本拠を構えている椎名氏の名前が1449年には見えているため、室町時代中期と考えるのが自然とされている。

松倉城を1569年上杉謙信に攻撃されたとき、平地の魚津も攻撃されたと考えられ、河田長親、山本伊予守が置かれた。1582(天正10)年柴田勝家前田利家佐々成政らに包囲されるが、上杉景勝は撤退、6月3日卯の刻に落城した。大将分13名名だたる部将が悉く討死している。が、本能寺の変が発生し織田方は撤退、上杉勢が城を取り戻している(その後、佐々成政の再攻撃により再撤退)。佐々成政、次いで前田領となり、一国一城令で破却。米倉や武具倉が置かれた。一時、富山が火災となり高岡に移る前での間、前田利長が居城とした時期がある。