安土城(あづちじょう)

別名
創建年と創建者 1576年、織田信長
形式 山城

岐阜城を嫡男・信忠に譲った織田信長が天下統一事業の集大成として常楽寺付近に築城、安土寺から名前を取り安土城となった。観音寺山より連なる低い割には急峻な山に建てられており、当時は三方を湖に囲まれていた。城にあるまじき大手道の存在が特徴的で、そこから各武将の邸宅が設けられていた。天守台のある区画を除いては尾根や谷に合わせて郭が構成されている。天守は信長自身が居館としており、住む前提の天守は後にも先にも珍しい。とにかくこの安土城がその後の近世城郭に大きな影響を与えたことは間違いなく、現代の我々が「お城」と聞いてイメージするものはだいたいが安土城で全部揃ったものである。

なお、本能寺の変後に天守は焼失。信長の次男・織田信雄が焼いたということになっている。総見寺は山門含め全伽藍が江戸時代末まで残存した。