新井城(あらいじょう)

別名
創建年と創建者 鎌倉時代後期か、
形式 平山城

北は小網代湾、南は油壺湾、西は相模湾に面し、陸続きなのは東側だけという天然の要害だった。三浦氏の生き残り佐原氏が、所領の三浦半島南部を治めるのに築いたものとされる。

1494年、三浦時高と養子の三浦義同が争い、三浦時高・高教がいる三浦城が落城し滅亡している。養子を取ったら実子高教が生まれた典型的家督争いでであったが、郎党の支持・小田原城主大森氏頼の娘を母としていたことが有利に働いた。

その三浦義同も、小田原城を奪取した北条早雲と相模の覇権を争うようになる。善戦したが、北条方に玉縄城を築かれ扇谷上杉の援軍を断ち切られ兵糧攻めにあう。1516(永正13)年城を打って出て華々しい討ち死にを遂げている。北条氏は三浦半島支配拠点として新井城でなく三浦城を選択し、対安房里見氏に臨むのである。