山名 宗全(やまな・そうぜん)

生没年 1404~1473.3.18
名前 山名持豊
官位 左衛門佐、右衛門督、弾正少弼

山名時煕の子。兄持煕が後継だったが、足利義教の勘気により持豊が家督相続となる。備後にて兵を起こした持煕を追討している。

嘉吉の変においては、隣国であった赤松満祐追討軍の主力となる。赤松領の播磨・美作・備前の守護を山名一族で確保、9カ国の守護を抑えることとなる。これに対し管領細川家が対抗心をむき出しにし、赤松一族の則尚に家督を許す働きかけを細川勝元が行い、足利義政がこれを許可する。義政との関係が悪化し、家督を子・教豊に相続する一方、則尚を備前に追い詰め自害せしめたりもしている。すると細川勝元赤松政則に家督を許す働きかけを行うなど、細川・山名の対立は激しくなるばかりであった。

これに畠山・斯波両家の家督争いが絡み応仁の乱が勃発することとなる。応仁の乱で京都にて戦う間に、旧赤松所領は赤松政則が確保し、守護職も赤松政則に抑えられている。山名・細川の和議が協議される中、京都の戦陣にて死亡した。