三浦 義同(みうら・よしあつ)

生没年 1451?/1453?~1516.8.9
名前 道寸
官位

太田道灌が討たれた後は上杉定正と決別、山内上杉顕定方で長享の乱を戦う。1494年長享の乱再発から上杉定正に戻り、家督となり新井城に拠る。横須賀氏から室を迎え、真里谷武田氏から嫡男室を迎え、里見氏と縁組みするなど、政略結婚を進める。1498年頃には伊勢宗瑞(北条早雲)と結び伊豆七島の支配を山内上杉顕定から奪ったりしている。1505年の両上杉の和睦から相模主要部の支配を委ねられるが、1509年以降相模支配を狙う伊勢宗瑞と対立することになる。当初は小田原城を伺う勢いもあったが、1512年岡崎城が落ち、三浦半島に追いやられ新井城にこもる。が1513年新井城の兵糧が付き、打って出て討ち死にを遂げる。

北条早雲ストーリーの最後、相模統一のに立ちはだかった強い敵、北条早雲にとってのラスボスである。早雲を苦しめたやり手であったようだ。ちょっとは強くないと早雲の壁にはなれないのである。