松永 久秀(まつなが・ひさひで)

生没年 1510?~1577.10.10
名前
官位 弾正忠、弾正少弼、山城守

戦国時代の極悪人・松永弾正とは彼のこと。

京都西岡の商人出身と言うが不明。阿波出身とも摂津百姓とも言う。三好長慶に仕え、足利義輝側近としても活躍する。摂津西半国の経営から大和を干犯し頭角を現す。1560年多聞山に城を築く。日本史上初の天守のある城と言われている。この頃は三好麾下として精力的な働きが多い。六角義賢と戦い、畠山氏と戦う。久米田の戦いで三好軍が大敗し本拠・飯盛山に畠山郡が攻め寄せたときは後詰めとして三好軍立て直しにかんでいる。教興寺・葉引野で畠山軍を破り、京都で伊勢貞孝父子を破っている。

が、三好義興が死んだあたりから三好長慶の悲嘆大きく三好の運命が狂い始める。一説には義興毒殺は久秀によるものだという。さらに安宅冬康を讒言にて成敗させて三好長慶を追い込む。長慶が死んでからのフリーダムっぷりはすさまじく、三好三人衆と一緒に将軍・足利義輝をぶっ殺す、その三好三人衆と仲違いし義継と共同戦線を張るも東大寺を焼き払い大仏を焼失するなど。織田信長の上洛で三好三人衆は逃亡、松永久秀足利義昭に嫌な顔をされながらも名茶入「九十九髪茄子」を献上し降伏し、大和一国を安堵された。 金ヶ崎の退き口で朽木衆を味方に付けるなど小気味よい活躍も見せるが、信玄上洛時に離反する。義昭も追放されるが信長は久秀を許す。再度謙信上洛の際に謀反を起こす。が、謙信の上洛はならず今度ばかりは処刑…となるべき茶釜「平蜘蛛」を献上すれば許すという。が、久秀はその条件を拒否。平蜘蛛を体に巻き付け信貴山城にて爆死した。信長クラスになると久秀を使うことに醍醐味を感じるのだろうか。単に茶器が欲しかっただけかもしれないが…

なお、実際には数々の暗殺は憶測の域を出ず(肝心の将軍暗殺だけは本当だが)、大仏殿焼き討ちも三好三人衆側の放火が原因である。それでも久秀が悪く言われるのは人徳としかいいようがない。悪人も突き抜ければ許容されるのが戦国時代である。あまり背後には居て欲しくないが。