松平 清康(まつだいら・きよやす)

生没年 1511.9.7~1535.11.29
名前 竹千代、安祥三郎、岡崎三郎、清孝
官位

松平信忠の嫡男。安祥城に生まれる。1523年家督を継ぐ。西郷信貞を攻撃し屈服させることに成功。松平氏の本拠を安祥から岡崎へと移す。

加茂郡足助の鈴木氏、東三河吉田の牧野氏、田原戸田氏、山家三方衆など次々と下し東三河を席巻した。

美濃三人衆らと結び織田信秀挟撃の体制を整え、尾張守山城を攻めていた。が、父・阿部信吉が手打ちにあったと誤解した家臣・阿部弥七郎に誤殺され(「守山崩れ」)25歳で死亡した。清康は桜井松平家との総領争いを外征に転化し戦国大名化を図っていった。源姓・世良田氏の名乗りなどは清康発祥である。