細川 勝元(ほそかわ・かつもと)

生没年 1430~1473.5.11
名前 聡明丸、六郎
官位 右京大夫、武蔵守

細川氏は足利氏の支族で発祥は三河細川(愛知県岡崎市)。

父・持之から家督を継ぐと、摂津・丹波・讃岐・阿波の守護となる。当初は山名持豊と組んでいたが、次第に対立、足利家・畠山家・斯波家の家督争いから発展し応仁の乱が勃発することになる。東軍の総大将として戦うが、決着が付かないままに1473年病死した。

戦国時代の端を切る片割れ。べつにこの人が悪いわけではないが、トリガーを引いたような格好を歴史の教科書でさせられている。管領を務めること3度、乱の前も後も細川本家(京兆家)は三好氏に乗っ取られるまで大きな勢力であった。