鍋島 直茂(なべしま・なおしげ)

生没年 1538.3.13~1618.6.3
名前 彦法師丸、孫四郎、信昌、信生(のぶお)
官位 飛騨守、加賀守

鍋島直房の次男にして嫡男。当初千葉家の養子となったが、その後佐賀に呼び戻され龍造寺隆信に近侍。1556年、龍造寺隆信の母が鍋島直房の継室となり、隆信と義兄弟となる。1570年大友の大軍に佐賀城が包囲されるが、今山合戦において大友親貞を急襲し討ち取る。この戦いで直茂の武名を高めた。沖田畷の戦いで隆信が戦死した後は龍造寺政家を後見する。朝鮮出兵では直茂に出陣命令が下り、龍造寺家臣団は直茂に従って戦った。関ヶ原の戦いでは嫡子勝茂が当初西軍に就くも、柳河城攻めを行い所領を安堵された。その後、龍造寺政家の嫡男・高房が死去して後は龍造寺家家督が勝茂が継承することとはり、支配と家督の統一がなされた。