徳川 信康(とくがわ・のぶやす)

生没年 1559.3.6~1579.9.15
名前 竹千代、次郎三郎、松平信康
官位

徳川家康の長男。母は関口義弘の娘、築山殿。桶狭間の合戦後駿府に居たが人質交換で三河へ戻った。織田信長の娘五徳と結婚、1570年岡崎城主となる。1572(元亀3)年、家臣が武田勝頼と通じた件は処断を行っているが、妻との不仲も伝わり、五徳から信長への訴状に質問された酒井忠次が回答しきれず、信長の指示で岡崎城を出され、二俣城にて切腹となった。

信長信忠と比較して信康の出来が良いことから切腹させただの、そろそろ徳川家康を討伐しようと難癖を付けてみただの、信康と家康家臣の対立説だの、築山殿事件は諸説あり真相は不明である。