築山殿(つきやまどの)

生没年 ?~1579.8.29
名前 瀬名姫
官位

今川家重臣・関口氏広と今川義元の妹の間に生まれる。1557年、松平元康と結婚。同い年とも3~4瀬名姫のほうが年上だったとも言う。桶狭間の戦いで元康は今川を離れることになり、嫡男信康共々苦しい立場となるが人質交換が成立し岡崎へ赴いた。城外の築山に住み築山殿と呼ばれる。家康浜松移転後も信康と岡崎に残っている。が、信康と築山殿に謀反の嫌疑がかけられ、浜松城へ向かう途中で家康の手のものに殺されている。事件の詳細は不明である。

最初の正室がトラウマだったのか、家康はその後後家ばかり……と、家康の女性問題に集約するのはやめておこう。