長 綱連(ちょう・つなつら)

生没年 1540~1577.9.15
名前 重綱、九郎左衛門
官位

畠山義綱を廃し畠山義慶を擁立、義慶、義隆、春王丸と能登畠山代々の後見として政務を行う。上杉謙信の能登侵攻を一度はかわすが、二度目の侵攻時に織田信長の援軍が来る前に遊佐続光・温井景隆の策謀により長一族の悉くが殺され七尾城は陥落した。 なお、このとき織田信長の下へ派遣していた弟・長連綱は生き残り、遊佐一族を討伐し前田利家の与力から家臣となり加賀前田藩で3万石を得ている。戦国時代のマイナーな勝ち組である。