十河 存保(そごう・まさやす)

生没年 1554~1586
名前 孫六
官位 隼人正、こうちのかみ、民部大夫

三好義賢の子。叔父・十河一存の養子となる。1561年家督相続後、十河城主となる。1578年には阿波勝瑞城で長宗我部氏と対峙する。羽柴秀吉を通じて織田信長に通じ、同じく明智光秀経由で信長に通じていた長宗我部氏に勝って信長の四国征伐を誘発した…はずだったが、本能寺の変が発生し、勝瑞城、十河城は落ち大坂へ逃げ延びる。秀吉の四国征伐で十河城を回復するが、九州征伐において戸次川の戦いで宿敵の嫡男・長宗我部信親島津家久軍相手に奮戦し戦死。