生没年 ?~1501
名前
官位

越中守護代。守護畠山家は3カ国守護であったため、遊佐家・椎名家と並んで分郡守護代を務めた神保家は権勢を得た。

畠山家の家督争いで、神保長誠は畠山政長を担いだ。管領・細川勝元を味方に付け足利義政に家督継承を命じる成功にこぎ着けた。その後山名宗全と組んだ畠山義就の巻き返しもあり、1467年政長を擁して挙兵。当初は細川勝元が加勢出来ず苦戦し、今日から退却するもその後京都は大乱(応仁の乱)に突入した。家臣の義就派への寝返りもあり、長誠は越中に帰りこれを討ち、越中での勢力確保に努めた。1493年の細川政元クーデターで畠山政長に攻められ自害すると長誠家臣も多数巻き込まれ被害は甚大だった。義材は越中に落ち延び、放生津に御所を造営した。その後越中朝倉家と組んで上洛に成功した。