里見 義弘(さとみ・よしひろ)

生没年 1525~1578.5.20
名前 太郎義弘
官位

里見義堯の子。父と共に対北条に奮戦する。1561年の上杉謙信の小田原征伐の際には海路上杉軍に馳せ参じている。1565(永禄8)年頃から当主としての動きが史料に現存している。三船山の戦いで北条に勝利し下総での優位を得ることが出来たが、1569(永禄12)年の越相同盟が里見家に衝撃を与える。武田信玄との同盟など反北条で動くが、氏康死後は北条・武田が和睦し再び上杉と同盟することになる。しかし北条の勢力も増してきたことから、1577年北条と和睦する。先妻は小弓公方足利義明の娘、後妻は古河公方足利晴氏の娘。義頼と梅王丸それぞれの子供は義弘死後家督争いを演じ、里見家は弱体化することになる。