佐久間 信盛(さくま・のぶもり)

生没年 1527~1581.7.22戦国合戦、7.24織田~高野春秋
名前 出羽介、右衛門尉
官位

佐久間信晴の子。織田家重臣の家で、尾張山崎城を守る。信長の上洛に従い京都に入り、京都で奉行を務める。その後近江永原城主となる。武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いでは織田方の援軍を務めた。その後、長島一向一揆や長篠の戦いに転戦。本願寺攻めの方面軍指揮官を務めた。途中荒木村重謀反への対応なども行いながらなんとか本願寺と和睦、大坂の地を攻略することが出来たが、待っていたのは信長からの叱責であった。7カ国もの軍隊を任せながら茶会に耽って5年無為無策、光秀を見よ秀吉を見よ勝家だって頑張ってる・・・とその後は三方ヶ原で平手汎秀を見捨てた、朝倉攻めで遅れてきたことを詰問したら口答えしたなど過去の話が根掘り葉掘り蒸し返される稀代の折檻であった。信盛は高野山へ引っ込み、その地で死亡。

佐久間信盛は織田家重臣の中では常に信長に従っており、林通勝あたりと比べて戦も出来たので宿老の地位をずっと務めていたのだろう。織田家は大きくなりすぎたのだ。能力以上に家業が大きくなったことが悲劇であった。