斎藤 義龍(さいとう・よしたつ)

生没年 1527~1561
名前 利尚、高政
官位

斎藤道三の長子。1555年のクーデターにより井ノ口城を奪取、孫四郎ら2名の弟を惨殺し、長良川の戦いで斎藤道三を敗死させる。その跡の動きは道三もびっくりするくらいの手堅さで、尾張の反信長勢力への協力、政所執事伊勢貞孝の子・貞良への政略結婚実現、義輝の相伴衆へ列し美濃国主として正式に認められたのともに六角家と婚儀を結ぶなどなかなかである。ただし、国内禅宗寺院の統括権を伝燈寺に与えようとして美濃の禅僧の一斉反発を喰らったりもしている。

桶狭間以降尾張との軍事緊張が高まる中、1561(永禄4)年急死。

土岐頼芸の子であるというのは創作とされるが、DNA検査してみたい戦国部将No.1かもしれない。