小早川 秀秋(こばやかわ・ひであき)

生没年 1582~1602.10.18
名前 辰之助、秀秋、秀俊、秀詮
官位 参議、右衛門督、左衛門督、権中納言

ねねの兄・木下家定の五男。近江長浜生まれ。秀吉の養子となる。丹波10万石を与えられるが、秀頼誕生のタイミングで小早川隆景の養子となる。当初毛利本家の養子になりそうなところを、小早川隆景が自分の家を犠牲にして(!)毛利家を守ったという話もある。秀次事件で連座して丹波を没収されるが、隆景の後を継ぎ小早川家領地を継ぐ。慶長の役において蔚山の戦いで奮戦するも、石田三成の讒言でなんと領地は没収、越前北ノ庄へ減封となる。三成さん、またあなたですか……が、実際のところ経緯ははっきりしないため詳細は不明である。秀吉死去のタイミングであり、このとき家康がとりなし旧領はそのままとなった。この時の遺恨が三成に敵対し家康に味方した…と言われるが、司馬遼太郎の小説『関ヶ原』では三成秀頼成人までの関白職を提示され気持ちが揺らぐシーンがあり、そんなもんである。

関ヶ原本戦のまっただ中西軍から東軍に裏切り家康勝利を決定づけた。岡山50万石を与えられたが政道は乱れ死去した。大谷吉継の祟りとか言われている。本当のところは詳細不明である。

時代を豊臣から徳川に変えた張本人の割には委細不明なところが多い。豊臣の縁者だから秘すべき処は秘して深追いしないのが時代の優しさだろうか。