顕如(けんにょ)

生没年 1543.1.6~1599.11.24
名前 茶々、光佐
官位

織田信長と一向一揆が決定的に対立したときの本願寺法主。第11代。第10代法主本願寺証如の子。

当初は上洛してきた織田信長に矢銭5000貫文を差し出すなど対立はしていなかった。が、1570年9月12日、紀伊門徒に対信長に立ち上がることを命じた。その後は石山の地で信長と戦い、浅井・朝倉・武田信玄(妻の実姉の夫でもある)・上杉謙信毛利輝元荒木村重と組み散々に信長を苦しめた。が、最後は講和。顕如は石山を退去し紀伊鷺森へ向かった。

秀吉は本願寺との融和路線を取り、京都に本願寺移転を命じた。一向一揆は終息し、(顕如死後に東西本願寺の分裂はあったが)落ち着くところに落ち着いた。