教如(きょうにょ)

生没年 1558.9.16~1614.10.5
名前 茶々丸、光寿
官位

本願寺顕如の子。石山合戦で父・顕如石山を退去して後も徹底抗戦を唱え石山に残留する。最後は火を放って退去した。父の死後法主となるが、秀吉の名で退職し、弟准如が本願寺を継いだ。が、石山合戦時に教如に同調した末寺・門徒を中心に法主にしか許されない下付を行う。徳川家康により京都烏丸七条の地を得て東本願寺を建てた。ここに本願寺は分裂した。秀吉家康に上手くやられた感があるが、ありあまるパワーを有した一向宗はこのくらいがちょうど良かったかもしれない。