蒲生 氏郷(がもう・うじさと)

生没年 1556~1595.2.7
名前 鶴千代、只三郎、賦秀、教秀
官位 飛騨守、侍従、左近衛少将、参議

六角氏の重臣・蒲生賢秀の長男。父が織田信長に下った後人質として岐阜へ赴くことになり、小姓として取り立てられる。伊勢大河内城攻めで初陣。越前朝倉攻め・小谷城攻め・長島の戦い・長篠の戦い・伊丹城攻め・天正伊賀の乱・武田攻めなどに従軍した。鶴千代の武勇を愛した信長は娘・冬姫を配した。

本能寺の変の時は父と共に日野城へ信長の家族を匿う。賤ヶ岳の戦いでは滝川一益の伊勢を攻め、小牧長久手御戦いでは織田信雄の勢力と戦っている。その後は紀州攻め、越前佐々攻めに従軍、その年諱を氏郷としている。キリスト教入信もその年で、洗礼名はレオン。氏郷の武名を高めたのは九州征伐の時の巌石城攻めとされる。亀山城、松ヶ島城、松坂城と移っている。

小田原の陣後、会津42万石に転封となる。領土が隣接する伊達政宗との神経戦が始まり、大崎・葛西一揆、九戸政実の乱平定への対応などを行う。最後は92万石にまで加増されたが、1595年死去。

茶の湯を良くし利休七哲の一人であった。