小笠原 長時(おがさわら・ながとき)

生没年 1514~1583.4.17
名前 豊松丸、又次郎、右馬助、大膳大夫、信濃守
官位

小笠原家は信濃守護の家柄、安住・筑摩二郡を保持していたが、塩尻峠の戦いで武田信玄に敗れ、林城を失った。同族の三好長慶を頼るも織田信長の攻勢を受け上杉謙信を頼り、その死後は会津の蘆名盛氏を頼っている。蘆名家では弓馬の師範を務めたという。最後は家臣に殺されたともいう。会津で死去。三男貞慶は信長麾下で東国取り次ぎとして働き、信長死後の混乱で家康の下旧領を回復、長時も戻ろうとした矢先の死であった。貞慶は譜代大名として、江戸期に数少ない守護大名上がりの名家として存続した。