織田 信広(おだ・のぶひろ)

生没年 ?~1574.9.29
名前 三郎五郎、大隅守
官位

織田信長の庶兄。信長より4~5年は年長とされる。

1549年、城将を務めていた安祥城が太原雪斎の攻撃を受け落ち人質にとらわれる。このときは松平竹千代(徳川家康)との人質交換で尾張に戻った。父の死後は信長に仕えるが、一度だけ斎藤義龍に通じ清洲城を乗っ取ろうとしたことが『信長公記』に記載がある。

信長上洛後は、信長の庶兄の位置を利用した公家や幕府との折衝の仕事に従事、吉田兼和とは昵懇で、1573(元亀4/天正元)年2月、信長と義昭の和議締結の際には信長の名代としての仕事をしている。他に比叡山攻撃や岩村城での武田氏との戦いに名前がある。

1574(天正2)年、伊勢長島攻めの最後の戦いで一揆勢の攻撃を受け討ち死に。