上杉 朝定(うえすぎ・ともさだ)

生没年 1525~1546
名前 五郎、修理大輔
官位

上杉朝興の跡を13歳で継ぐ。北条氏綱の大軍と戦い敗れ、叔父朝成は生け捕りにされ、持朝以来の居城河越を友貞は失う。松山城にこもるも氏綱の大軍は襲来、ここは難波田正直の奮戦もあり辛うじて撃退する。河越城には北条綱成が置かれ、幾度か奪還を試みるも不調に終わった。

氏綱の死後、山内上杉憲政・古河公方足利晴氏今川義元で連携し、跡を継いだ北条氏康を挟撃する。河越城を大軍で包囲するも綱成の奮戦で城は落ちず、北条氏康の奇襲により上杉朝定は若い命を戦場に散らした。享年22歳。扇谷上杉氏は滅亡した。