上杉 定正(うえすぎ・さだまさ)

生没年 1443~1494.10.5
名前 載享、修理大夫
官位

扇谷上杉持朝の3男。甥政真が五十子で成氏に敗れ敗死したことを受け迎えられる。家宰・太田道灌の補佐もあり家名を高めた。長尾景春の乱に対し山内上杉と協同して対処するが、成氏顕定の合力に定正は反対、両上杉の関係は悪化する。江戸城河越城を補強して情勢に対処しようとする太田道灌を快く思わず、1486(文明18)年太田道灌を糟谷(神奈川県伊勢原市)で忙殺。家中の心が離れていった。結局古河公方や長尾景春と結んで上杉顕定に対抗することとなり、幾度と顕定に戦闘、最終的には関東の大盗賊と非難した伊勢長氏とも連携し顕定を攻めようとするも、荒川を渡ろうとしたときに落馬し死去。

太田道灌を殺したアホとして関東戦国史にその名は燦然と輝いている。