上杉 憲政(うえすぎ・のりまさ)

生没年 ?~1579.3.18
名前
官位

上杉憲房の子。北条氏康対抗のため扇谷上杉・古河公方と連携し河越城を攻めるも、城将・綱成の勇戦と氏康の奇襲により敗れる。これによりいよいよ山内上杉の退勢は決定的なものとなる。家臣に見放され上野平井城は陥落、嫡男竜若丸は小田原に送られ処刑された。当初は常陸・佐竹氏に関東管領の座を譲ることを交渉するもやんわり拒絶され、因縁のある越後長尾家に亡命することになる。1561(永禄4)年閏3月、鎌倉にて上杉氏の名跡を景虎改め政虎に譲っている。小田原征伐などその効果は絶大で、父親と180度異なる正義漢だった上杉謙信は幾度も関東に出兵したが、北条氏を滅亡させることはなかった。

謙信の死後の家督争いである御館の乱では北条氏康の子とされる景虎側につく。景虎の一子・道満丸と景勝方に投降するが2名とも斬殺された。