上杉 景虎(うえすぎ・かげとら)

生没年 1554~1579.3.24
名前 西堂、三郎
官位

北条氏康の七男。当初北条幻庵の養子となる。なお、北条氏秀は別人であり、武田信玄の養子となったという『関八州古戦録』の記載は事実誤認とされている。

越相同盟にあたって、氏政次男に代わって養子となることになる。上杉の姓、景虎の名、姪(景勝の妹)を嫁にする好待遇を受ける。相模との同盟廃棄後もとどめ置かれている。

上杉謙信の急死により、御館の乱が勃発する。景虎は、謙信草創期を支えた蒲原・古志各郡の諸将の支持を受けたが、春日山城を真っ先に抑えた上杉景勝が優位となり、その後実家の北条と同盟を結んでいるはずの武田勝頼景勝に味方したことで形勢悪化は決定的になる。一子・道満丸をつれて景勝の陣所を訪れた前管領・上杉憲政はともに殺害され、夫人(景勝妹)も自害、最後は鮫尾城で自刃した。

ちなみに美男子だったらしい。