足利 義澄(あしかが・よしずみ)

生没年 1480.12.15~1511.8.14
名前 清晃、足利義遐、足利義高
官位 左馬頭、参議、左近衛中将

足利政知の第二子。伊豆生まれ。足利義稙の後継として細川政元に擁立された。最初は傀儡だったものの細川政元の専制に異を唱えることもあったようだ。細川政元と決定的対立に至らなかったのは大内家に逃れた足利義稙の影がちらついていたこともあったようだ。豊後大友氏に牽制を依頼したりもしていたが、足利義稙が大内軍によって上洛されてくると近江へ逃れる。六角家を頼るも最終的には近江で死す。