足利 義輝(あしかが・よしてる)

生没年 1536.3.10~1565.5.19辰刻
名前 菊幢丸、義藤
官位

室町幕府第13代将軍。細川晴元三好長慶の対立もあいまって京都と近江・朽木谷を行ったり来たりの日々が続いた。1558年11月六角義賢の仲介による三好長慶との和議で京都へ服し、そこから一時的に安定して京都在住となる。織田信長長尾景虎との謁見、大友義鎮毛利隆元の守護任命、三好長慶・義興父子や松永久秀への桐紋を授ける一方、長尾・北条・武田、島津・伊東・大友、毛利・大友への和議推進など政治的手腕を発揮する。しかし三好長慶死後の松永久秀の台頭の中で、1565年御所を急襲される。塚原卜伝の弟子でもある足利義輝、剣をとっかえひっかえ抗戦抵抗するも力尽き、最後は複数人がかりで斬られて死亡する。 将軍に限らず、大名は最後まで自ら剣を取って抵抗することは日本史上まれであるが、日本史上剣で戦って死亡した将軍は足利義輝だけだろう(源実朝のように刺されて死亡した将軍、足利義尚のように戦場で死んだ将軍はいる)。