足利 義尚(あしかが・よしひさ)

生没年 1465.11.23~1489.3.26
名前 足利義煕
官位 左近衛中将、参議、権大納言、内大臣

足利義政日野富子の間に生まれる。室町幕府第9代将軍。足利義尚の誕生で日本は応仁の乱に突入することになるのである…と書くと可哀相なかんじだ。1473年応仁の乱のなか将軍につく。父・義政を反面教師としたのか、じつは母日野富子の教育が良かったのか、政治に関心があり、一条兼良に諮問を励み、成果は(一条兼良の著書として)『樵談治要』として著書が残っている。

部下たる奉公衆の対立に悩みながらも、好き放題所領を荒らす六角高頼を成敗すべく近江へ出陣する。六角高頼は甲賀に逃げてゲリラ行動に転じ、ここで義尚のやる気スイッチはオフとなり父よろしく陣中で遊興に耽るようになる。1489年陣中で没する。

母・富子にも意見する芯の強い子だったらしい。そんなに苦労を買ってたら若死にして当然とも思える。