穴山 梅雪(あなやま・ばいせつ)

生没年 1541~1582.6.2
名前 勝千代、彦六郎、信君。左衛門大夫、玄蕃頭、陸奥守
官位

父は穴山信友、母は武田信玄の姉、妻は武田信玄の娘見性院。

下山に居館し、河内郡(現在の南巨摩郡・西八代郡)を支配した。

信玄の駿河侵攻後は庵原郡を任され、山県昌景が長篠の戦いで死去した後は江尻城主となった。穴山家は小山田氏と同様、直領化しない二重支配の構造となっており、どちらかといえば同盟関係に近かったと言える。戦国時代にはよくある構造であるが、直臣・奉行・代官などの家臣組織も別途存在してた。

1582年の織田侵攻時には早々に徳川家康に下り旧領を安堵されている。安土家康と参上の上で堺見物をしている最中本能寺の変が発生、単独で帰ろうとするも一揆に討たれて死亡。

子の勝千代は16歳で夭折し穴山家は断絶となった。妻・見性院は保科正之の養育で後世に名を残している。