【完全戦国年表10周年特別企画】完全完全戦国年表年表

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西暦 年号 おもな出来事
1997 平成 8 1月26日、Webサイト「完全戦国年表」がASAHI-NETサーバにアップロードされる
6月22日、「完全戦国年表」Ver.2.50、公開
7月11日、「完全戦国城郭手引・第一版」(現「日本の城リファレンス」)公開される
12月28日、Active Channelに対応
1997 9 3月28日、「戦国メディア市・第21回」においてスタイルシート(CSS1)に対応
7月18日、「完全戦国年表・第3版」公開
9月26日、「戦国メディア市」連載終了
1998 10 1月1日、「完全戦国年表」更新休止
2000 12 4月13日、携帯版(iモード版、J-SKY版)完全戦国年表公開
2004 16 7月19日、ブログ「Theメディア市」として、往時の連載「メディア市」が復活

1997年1月26日、Webサイト「完全戦国年表」がASAHI-NETサーバにアップロードされる

その年の1月26日は日曜日だった。そんなわけでこの日に公開されたのであった。とは言え、更新前に必死に作業をしていたという記憶はあまりない。だが、「MACHIDA PC MAP」など他のコンテンツも同時公開だったので、この日はこの日でいっぱいいっぱいだった。なんせ、「MACHIDA PC MAP」は作り始めたのが1ヶ月くらい前。そこから下調べなどもあわててやっていたので大変であった。「完全戦国年表」は、当時は年表だけしかなく、やったことといえば「戦国メディア市」の第1回を書いたくらいであった。もっとも、「MACHIDA PC MAP」の充実度を見て「やばいかな」と思って「戦国人・怒涛の生涯」というコンテンツを急遽やろうと思ったが、それはアップ日には間に合わなかった。

あまりアップの前忙しくなかったというのは、既にコンテンツそのものは96年には出来ていたからだ。ワープロ専用機で作成された「完全戦国年表・第一版」を95年に購入したパソコンでMicrosoft Wordに移す作業をしていた。そのカシオのワープロはパソコンに吐き出すことが出来なあったので、原則手打ちで作り直しだった。それが終わって印刷をかけたのが、ちょうど町田メディアバレー開店日だった。 HTMLにはWordから吐き出した記憶がある。それを、HyperEdit(今も使っている)でちょっとばかり整形したというわけだ。もっとも、当時はまだ勉強不足ということもあり、今ほどきれいな年表ではなかった。

なかなかアップロードできなかったのは、私のアカウントがなかったことによる。インターネットには96年にはデビューしていたものの、当時使っていたのは父のアカウントだった。当然メールボックスは、ない。そこで、父にねだってASAHI-NETの家族会員で作ってもらったのだ。両親もよく許してくれたものだと、今は思う。感謝。

とにかく、この日からすべては始まったのである。

1997年6月22日、「完全戦国年表」Ver.2.50、公開

このVer.2.50は、はじめてWeb版(HTMLベース)のほうで新たに編纂を行った記念すべきバージョンである。開始年代を1437年まで繰り上げたことは、好評を持って受け入れられた。フォーマットに関しても、今のものになったのはこの時。このVer.2.50で、今の「完全戦国年表・第三版」の原型が作られたといえる。

1997年7月11日、「完全戦国城郭手引・第一版」(現「日本の城リファレンス」)公開される

この、「完全戦国城郭手引」ほどメールにて「苦情」が寄せられたコンテンツはないのではないだろうか。城の縄張りの分類や、「山城→平山城→平城」の推移など、様々な学説を指摘された。……勉強にはなりましたが。

兵糧攻めについて、「飢えた人を見ることが大好きだった豊臣秀吉がこの戦法を愛用した。」と書いたら怒られた。…これは、「信長の野望・天翔記」のマスターブックが元ネタ(そのまま)だったんだがなあ。。。

1997年12月28日、Active Channelに対応

Internet Explorer Ver.4の新機能であるActive Channelに登録できるようにしてみた。もっとも、プッシュ配信に適したコンテンツは用意していなかったのでボタンクリックでアクセスできるようになっただけである。

この頃の同種の技術であったRDFが席巻している昨今のウェブ界隈を思うと、隔世の感である。

1998年3月28日、「戦国メディア市・第21回」においてスタイルシート(CSS1)に対応

CSS対応といっても、行間が空くようになっただけである。未対応ブラウザでは関係なく表示されるだけなことを考えれば、別にスタイルシート版と通常版を分ける必要はなかった気もする。

2000年に全面的にCSSを導入した「MACHIDA PC MAP」と違って、完全戦国年表のhtmlは古いままである。それどころか、一昨年までは、BODYタグのあとにTITLEタグがあったりしてたくらいである。SEOを考え、見出しタグを使うようにしたり、更新の機会があればタグを小文字化したりして、少しずつ時代に合わせている。それを言うのであれば、「戦国時代人物名鑑」を人物ごとじゃなくて、五十音ごとにファイルを分けたのは最大の失敗だったかもしれない。

1998年7月18日、「完全戦国年表・第3版」公開

この第3版で、「戦国時代人物名鑑」を公開した。正直、同時公開した「MACHIDA PC MAP」のほうが反響が多く、当時の私はそっちに力を入れていた。反響のあるページを2本も抱えていたとは、当時の私はどれだけ幸運だったのだろうか。

だが、本来ホームページで公開しようと思っていたのは、「完全戦国年表」のほうだった。とりあえず、百科事典的な使い方も考慮しようと思って手をつけたのが、「戦国時代人物名鑑」だった。これを書く作業を、少しずつ進めた。時には2ページ分原稿をすっ飛ばしたりしながら、なんとか書き上げた。執筆作業は、楽しかった。だが、これにリンクを張る作業がけっこうしんどかった気がする。

今現在、年表のページよりは戦国時代人物名鑑の方がアクセスが多い。何人かの武将が1ページにまとめられていることもあるが、まだまだ多くの方に読んでいただけているようだ。

1998年9月26日、「戦国メディア市」連載終了

この戦国メディア市がなぜ終了したかといえば、私の母校でちょうど高校2年のこの時期に文化祭が終わり、受験モードに突入することに因る。成績劣等生だった私は、更新を続けて「成績が悪いのにまだやってる」と言われるわけには行かなかったわけだ。

正直、今にして読み返すと対したことのない書評などのレビューがならぶのだが、当時はそういったものの数が少なく、反響も多かった。ここで連載終了せず、2003年あたりにブログ化していれば、今頃AmazonアソシエイトとGoogleアドセンスで大儲け出来ていたのになー(嘘)

1999年1月1日、「完全戦国年表」更新休止

ちょうど携帯電話・PHSが11桁化したときに更新休止をした。これは、筆者の大学受験のためであった。もっとも、「MACHIDA PC MAP」は「試験電波発射中」で実質的に更新継続されたので割を食った形といえる。

更新休止の割には、「放生月毛-戦国Links」など更新が継続されていたわけで、結局は形だけだったという印象もある。

「大学受験のためにブログを更新しないことにしました」とかいうのを見ると、十代のひとの苦悩が見て取れる。ぶっちゃけたはなし、受験生より社会人のほうが忙しいのだ。だが、そういう風に「受験のためにホームページ更新をやめなければならない」という方向に持っていってしまっているのは大人たちである。受験生ホームページ作者の方にアドバイスするとしたら、更新は続けて、更新をしていることを誰かになんか言われないように勉強を頑張った方が健全である。

2000年4月13日、携帯版(iモード版、J-SKY版)完全戦国年表公開

正直、iモードが出たとき「ケータイでインターネット(プ」と思ったのは事実である。だが、実際に自分で携帯電話(って、PHSだったが)を持ってみて、外で見られるってのが便利だなってことが分かった。そこで、自分で作ってみることにしたのである。

このケータイ版はかなりの反響だった。携帯向けのページをPC向けとほぼ同様に公開していたところが少ないこともあり、雑誌などでの紹介のされ方は本家のPC版以上だった。待ち受け画面の公開も行い、「ケータイのインターネットしか知らない/出来ない」ユーザに提供できたことは嬉しく思う。

初期のiモードには2KBの制限があり、結構しんどかった。だが、HDMLの制限はもっと厳しく、EZweb版を公開することは出来なかった。現在に至るまでau未対応なのはそんなあたりに背景がある(ここだけのはなしだが、DDIPocketのH"用のオープンネットコンテンツ対応版は出来ていたのだ。…H"を解約してしまって確認のしようがないので公開はやめてしまったが)。当時のauの暗黒っプリは今の破竹の勢いからは想像しがたいものがある。通話としてのcdmaOneはともかく、メールだってプッシュ式のが提供されたのはこの年ではなかったか。「ドコモはauのパクリばっかり」とか言っている人を見ると、若いっていいなと思ってしまうのはこのときの経験があるからだろう。

2004年7月13日、ブログ「Theメディア市」として、往時の連載「メディア市」が復活

もっとも、告知をしたのは翌年の1月1日である。正直、更新はされていない(爆) これは、この「メディア市」においては公開するまでのレベルを自分の中で高くしてしまったことが原因である。そんなわけで、今では「完全戦国年表編纂後記」専用ブログと化している。 ソーシャルブックマーク勃興の昨今においては、個別ページでタイトルを表示できないのは致命的である。この「Theメディア市」は改組予定であることをここに書いておく。

200X年、「完全戦国年表・第4版」公開

実は、きちんと作ってます。今のところ織田信長上洛のあたりの前まで作成済み。そこから、新暦つける作業もあれば、「戦国時代人物名鑑」に加え、合戦や城、「戦国時代各国総覧」を発展させた旧国別のプロファイルなんかも作る予定なのでだいぶ先になりそうですが。

きちんとCMSで作成して、ケータイ電話対応にわざわざファイルを作らなくていいようにしなければならないし、RSSを吐くようにはしたいと思ってます。「戦国時代人物名鑑」なんかは、客観的な内容はもうウィキペディアに任せて、うーんと唸らせる変化球ぞろいで書こうと思ってます。…ちょっとでも穿ったことを書くと、「影響力あるサイトだからもっと客観的に書いてください」といわれていた頃が懐かしいです。