【完全戦国年表ライブラリー:004】里見メディア市

この「里見メディア市」は、戦国メディア市最終回で予告したように、「掲示板やメーリングリストなどでお目にかかるかもしれません」という文章の実際である。「完全戦国年表」でも度々登場している、「南総里見之館」(http://www.asahi-net.or.jp/~yu9t-skrd/satomi/の中にある掲示板にアップされたものである。作者の了解を得て、この「完全戦国年表ライブラリー」に転載させていただいた。

里見メディア市・第1回

 最近書きこみが減りつつある?「南総里見之館掲示板」だが、まあ、ここはひとつ冗談めいた文章?を載せて昔日の繁栄??を里見家に取り戻そう、という次第に御座る。
 しかし里見家関連のメディアは少ない。里見義堯を書いた小説というものを聞いたことがないのだが、PHPあたりで出ていないのかのう?せいぜい、新田次郎の「武田信玄」にチラッと出てきたくらいだ(名前が)。
 書籍は「ないわけではない」のだが、私ってばそんなに裕福じゃないから、「房総里見水軍の研究」とか、常陸王殿もお書きになってた「戦国大名里見氏」とかは、買うお金ないの。Tomjin氏見たく市立図書館においていないからコピることもできないの。
 とゆーわけで非里見オタクな人にとって身近な里見メディアは「ゲーム」ということになるのではないだろうか。これなら「里見家」を選択して天下を取るもよし、最初のターンで滅亡するもよし、はたまた改造して遊びまくるもよし、である。
 Tomjin's Homepage(「南総里見之館」のトップページ)にある「よしなしごと」では、私(文中では「向井真実」なるふざけた仮名で登場していたかと思う)が某Tomjin氏に「(統一するのが)遅いねー」等と言ったばっかりに彼を里見野郎にしてしまったようなことが書いてあるのだが、実を言えば、私は「天翔記」で里見家での統一を果たしていない! とゆーのもね、シナリオ1で大内家が伸びてしまったのよね。毛利元就にみんな暗殺されてゆくはで、無念、統一を果たせず。
 「信長の野望]シリーズでは里見家の評価年々上がっているよねえ。「群雄伝」「風雲録」では最初のターンで滅びの美学を追及していた里見家が、こうまでになったのは、実は「覇王伝」初登場の正木時茂のおかげだよねえ。おまけに「覇王伝」からは当主・里見義堯の戦闘能力が70台になりまして、そこそこ戦える大名となったのだ。
「天翔記」はコンピューターでは滅亡しやすい里見家だけど、とてもやりやすいんだよね。里見家は「暗殺技能」で持つと言われてもお構いなし。暗殺に次ぐ暗殺で勢力を伸ばせるからなあ。義堯ちゃんってばそういう人だったのか?
 「将星録」になり自分でやるにはきつくなったものの、それでもお隣の佐倉城は「将星録」屈指の軟城だし、北条は港でたたくもよし、で昔に比べればありがたいものだ。おまけに、北条-里見の当主が、氏政-義弘となるシリーズ始めての1575年のシナリオのおかげで、なんとあの里見家(コンピューター時の)が、小田原城を自らの領土にする、と言う昔を知る人にとっては信じられない、事態が発生するにまでに至ったのだ。恐るべし!恐るべし里見っ!
 ……しかし、世の中にはもっと里見家が「つおい」ゲームもあるんだな……
 と言ったところで今回は終わり。続きを求む人はこの掲示板に感想・意見等を書いて「次回希望」と書いてください。私の気が乗らない限り次回はありません(爆)
 では、管理人殿には抜き打ちでアップさせていただきました。(いつかやる、と予告はしていたが)長文をお許し頂きませ。


 こうして「里見メディア市」の第1回は劇的に登場した。しかし、このごは作者の多忙の関係で、1カ月以上遅れての登場となる。

里見メディア市・第2回

 というわけで、遅れ馳せながら待望の?第2回です。
 前回は、「信長の野望」シリーズの里見家の低調を嘆いてそれで終わったと思うが、今回はそんな里見家にとってメシア的な評価を下しているかの有名ゲームにふれよう、という次第である。
 そのゲームとは、私が戦国時代に染まるきっかけともいえる(ひいては某管理人殿が里見ヲタクになった原因の原因ということか?……「Tomjin's Homepage 『よしなしごと』」参照のこと)「天下統一2」である。
 その前作「天下統一」の方が評価高くて光あてられなかった作品として有名だが?、Windowsに移植され、さらにリメイクされたのも出たこともあり、比較的新世代の戦国野郎衆にとっては「天下統一~乱世の覇者~」「天下統一~相克の果て~」として、「2」であることを意識せずに遊んでいるかもしれない。
 私の事を書けば、PC-98の体験版にはまって戦国時代への興味を激しいものとし、やがてPC-98版の「パワーアップセット」で遊ぶようになり、Windows版が出た当初は買わなかったものの、美麗版の「相克の果て」が出たことで、「乱世の覇者」が1980円で投げ売りされたのでこっちを買いました。セーブデータは流用できたし、グラフィックも似た感じなのがマシン性能アップにより快適に遊ぶことが出きるようになり、いいことだらけである。(昔はフロッピーベースで遊ぶゲームで、ハードディスクには無理矢理コピーするしかなかった)
 このゲーム、「相克の果て」で信長からでも遊べるシナリオが導入されたものの、基本的には信長・秀吉・家康だけでなく、マイナー路線にもきちんと光が当てられているといえる。ただし、「登場する」条件は甘いものの、史実で不利な大名はとことん不利な環境に放置されているため、それは難しい。
 では、我らが里見家はどうか?
 1546年(PUSでは1949開始)のシナリオでのことではあるが、なかなかに強いのである。
 なによりも北条から直接攻められる危険性が少ないことが有利なのだが、正木時茂の「軍事」の数値が初期値で15と、長尾景虎の16、北条氏康の13、北条綱成の14、武田晴信の10、毛利元就の10と比べても(以上PC-98版のPUSのデータ。Windows版は変わっているかもしれない)まったく劣ってない、というか「過剰評価では?」と疑いたくなるほど優秀なのである。このゲームでは家臣の能力値で一番ゲームに大切なのは「軍事」の力ということもあり、また、里見義堯・義弘のそこそこの優秀さもあいまって結構有利にゲームを進められる。
 うん、近年某光栄のゲームでも里見家が見とめられつつもあるけど、システムソフトは先見の明があった、ということだね。
 最近出された新人物往来社の「日本史に登場する人物の逸話」がいくつも載っている本に、里見義弘が登場、義弘の領民思いの逸話が紹介され(「万年君さま」-里見九代記より)、里見に対する認知度は上昇の 一途をたどっているようだ。
 なによりも、マイナー大名といえども里見家の場合は、「南総里見八犬伝」のおかげで、「里見」という名前だけは広まっているから有利なのだろう。
 ……というわけでわたしが書く「里見メディア市」はこれで終わりとさせていただきます。すみません、ネタがあんまりないんです! 前回書いたが里見メディアは絶対数が少ないっ!
 でも、一番身近な「里見メディア」とは、この「南総里見之館」ではないだろうか? まだまだ整備されていないところはあるが、気軽に、いつでも、好きな時に、里見家情報がGetできるのはうれしいことである。
 というかたちで締めさせて頂きます。こんな駄文を読んでいただき有り難う御座いました。管理人殿が似たようなのを書く、という話もありますので、お楽しみに。
 あと、この「里見メディア市」は、ここ「南総里見之館」でも保存して頂ける、という話もあります。また、この掲示板に面白いこと書く予定なので、皆様も、いろいろ書きこんでみてください。


 この「里見メディア市」では、「戦国メディア市」の番外編として、戦国時代の中でも、里見家を題材としているメディアに焦点を絞って書かれている。里見家は、小説の題材となることも少なく、いつも、北条を書いた小説のやられ役か、武田・上杉の小説のひきたて役である。書籍では、里見家に目は向けられず、北条側の史料の吟味だけで、国府台合戦や三船台の戦いは紹介されている事が多い。ゲームでは「信長の野望」の弱小ぶりが強調され、と散々な大名家である。そこで、「里見メディア市」では、「信長の野望」の里見家の変遷と、里見家が強く描かれている、システムソフトの「天下統一2」を題材とし、最後に、里見メディアで著名になっているのは、この「南総里見之館」である、と締めてみた。
 里見家という大名は、意外に面白い歴史も持っており、単なる「弱小」で片付けられないところがある。私は、同じ「南総里見之館掲示板」に「里見家の歴史的役割は『戦国時代を終わらせたことだ』」と書いたこともある。西国政権の豊臣政権のアンチテーゼとしての、東国政権の北条を、豊臣家の日本統一の象徴的儀礼としての小田原の陣を演出できるための北条家の強さの具合に押さえていたのは、里見家である、という内容である。
 「里見メディア市」は「戦国メディア市」のパロディという要素も幾分かはあるが、里見家メディアの見直しを訴える文である事を、筆者である私は否定しないであろう。


初出
「里見メディア市・第1回」:「南総里見之館掲示板」1998年11月14日(土)17時35分25秒アップ
「里見メディア市・第2回」:「南総里見之館掲示板」1998年12月18日(金)01時07分33秒アップ
解説:書き下ろし