【完全戦国年表ライブラリー:003】「戦国人・怒涛の生涯」復刻版

インターネットホームページをやっていると、「企画倒れ」が多々ある。「戦国人・怒涛の生涯」もそのコンテンツの1つだ。1997年1月26日、「完全戦国年表」がついにインターネット上で公開された。その8日後、「戦国人・怒涛の生涯」の第1回は公開された。「完全戦国年表・第二版」「完全戦国各国総覧(現・戦国時代各国総覧)」、そしてメインの連載となった「戦国メディア市」に次ぐ、第4のコンテンツとして、連載されていく予定だった。しかし、第1回が掲載されたのみでその次はなかった。「戦国メディア市」とて、第2回こそ「戦国人・怒涛の生涯」の第1回と同じく2月8日にアップされているが、第3・4回と第5回のブランクは3ヶ月も空いているのである。しかし、「戦国人・怒涛の生涯」は1回だけで終わった。
 このコンテンツで何を書こうとして、アップしたのか思いだせない。戦国武将について、いろいろ薀蓄を書いていこうとでも思っていたのだろうか。しかしそれは、密かに「戦国時代人物名鑑」に受け継がれた。そして、その第3版を前にして、「完全戦国年表」インデックスの一新と同時に、インデックスページからいけないようになってしまったのである。そこで、この「完全戦国年表ライブラリー」で復刻をしてみたわけである。

壱、織田信忠様之事
 この人の評価は不当に低い。1582年の武田攻めでの武功は、家臣あってのものとされるのである。ちとかわいそうだ。無能であれば優秀な家臣あっても功はあげられない。長久手の戦いにおける豊臣秀次がそうだ。
 彼も、当時は、大大名・・・天下人になる人間の・・・世継ぎだ。有能な木下利直・利匡兄弟を戦死させといてか割に池田監物をくださいと秀吉に言う始末だ。それに比べて信忠は、家臣のおかげでも武功をあげている。佐久間信盛は、有能な家臣を召し抱えないため追放された。家臣は信長がつけたものではあるが、家臣のゆうことをきかずとも、何事も出来る信長と比べられては可哀想である。
 徳川秀忠は、2代目としてそれなりの評価を得ている。しかし、2代目の多くはいい評価を得ていない。毛利隆元(早逝)、武田勝頼(武田家滅亡)、豊臣秀頼(豊臣家滅亡)・・・・ 中には本当に愚鈍な奴もいるが、初代の威光をそのまま受け継げるくらいであれば、それで合格ではないか。


 第1回では、優秀な武将の後継ぎについて書いてみている。優秀な先代を持ったばっかりに浮かばれない彼ら。中でも私は、織田信忠擁護派である。「戦国時代人物名鑑」でも、織田信忠の項に「二代目としては一応合格であった」と書いている。
 「戦国人・怒涛の生涯」は「織田信忠・怒涛の生涯」で終わったのかと、ふと苦笑いをしてしまう。今後も復活はないだろう。なお、インデックスからはいけないようになっているが、原版は残っている。インデックスページに戻るアイコンも昔のままで、大変懐かしい。

原版アドレス:http://www.asahi-net.or.jp/~mh6h-ecg/ksn/dotou/dotou1.htm


初出
「戦国人・怒涛の生涯 第1回」:「完全戦国年表」1997年2月8日アップ
解説:書き下ろし