ヒュースケン(Henry Heusken)

生没年 1832.1.20~1861.1.16
名前 ヘンリー・ヒュースケン
官位

オランダ・アムステルダム生まれ。1853年ニューヨークへ移住、アメリカへ帰化。

1855年からハリスの書記兼通弁官として活躍。日本で通用する西欧言語がオランダ語だけだったため、蘭英独仏語を操れるヒュースケンの活躍の場は無限大だった。

1861年、赤羽橋付近のプロシア使節宿舎からアメリカ公使館へ移動中、薩摩藩士らに衝撃され絶命。幕府が彼の母親に1万ドルを補償した。