橋本 左内(はしもと・さない)

生没年 1834.3.11~1859.10.7
名前 綱紀、伯綱、弘道、桃井伊織、亮太郎
官位

福井藩藩医の家に生まれる。1849年大坂にある緒方洪庵の適塾に入門、蘭方医学を万部。1856年藩校明道館の蘭学科掛となり、翌年洋書習学所を解説した。西洋学一般・英語・ドイツ語を修めた左内の思想は一橋慶喜をリーダーとした富国強兵推進国家で、慶永もいたくその思想を気に入り重用した。そのまま松平慶永の国事を助けることになり、家業は末弟に継がせた。将軍継嗣問題や通商条約勅許に係る朝廷工作に携わった。

大老・井伊直弼の就任に伴い松平慶永は隠居謹慎となった。左内は捕らえられた。仮にも藩士なので大丈夫だろうと福井藩では高をくくっていたが、井伊直弼の狂い方は常人以上で、拷問のあげく江戸伝馬町獄舎で斬首刑となった。