金子 重輔(かねこ・しげのすけ)

生没年 1831.2.13~1855.1.11
名前 卯之助、直三郎、渋木松太郎、市木公太、貞吉
官位

金子家の養子となる。鳥山信三郎の私塾にて肥後藩士・永島三平の影響を受け、海外渡航を志す。吉田松陰に弟子入りを志願、認められる。松下村塾以前のため、吉田松陰の一番弟子ということになる。吉田松陰をして「眼彩爛々、屈せざる色あり」と言わしめているので、相当のギラギラだったのだろう。

ペリー来航時に密航を企てるが失敗、が、ペリーに断られ自首。萩へ護送され、岩倉獄の獄中で肺炎にて死亡。